ばかな命名

 先日五十七になったので、ニ、三万円くらいのものなら何か買ってもいい、と家人に言われた。ただし、買うのは誕生日の一日のうち、と限定される。ただし本はだめだ、と言われたので、困ってしまった。いろいろ考えたが、パソコンのディスプレイにする。27インチのもので安いものを選んだ。横に広いので、DTPソフトを使うのに便利かもしれないが、今のところレイアウト作成で試していない。

 本当はハイデッガー全集のどれかを買いたかったのだが、この野望はくじかれた。休みの日は、このモニタでイーストウッドの『チェンジリング』をみた。タイトル名は、取り換えっ子、という意味らしい。ヨーロッパの伝説にあるとのこと。ヒロインの誘拐された子どもが、ある日警察によって発見されるが、それが違う子であった、というところから話がはじまる。警察はこのミスを隠すために、ヒロインを錯乱した女性にでっちあげてしまう。誘拐犯の青年は、子どもを大量にさらって殺していたのであったが、ヒロインの子どもはどうやらそこから逃げたらしい。しかし、最後までその行方はわからない。でも、ヒロインはどこかで生きているに違いない子どもが「希望」だと映画の最後で言う。現実態の子は、希望という語に取り換えられた、ということなのであろう。子は実際にそこにあったときにはまだ「希望」ではなく、いくたびかの交換の果てに「希望」に至りついた。ヒロインは電話交換手である。言葉の取り換えとしての対話を媒介する人なのであった。実話ということだが、このリアルな話自体はもちろん映画と取り換えられている。詩もまあ、こういう取り換えっ子の現象の\xB2

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 あるものがないものになって、別のことばになる。昨日の地名の話に似ている気もする。昨日は椎名町を出したが、そういえばあの上久一色村も、合併でもうなくなっているな、と連想する。でも、オウム事件が想起されるうちは上久一色村は、現実態の上久一色村とは違う別の言葉として延命するのであろう。金時鐘の『猪飼野詩集』の猪飼野はどうだろう。

 当方の出身地の押上は今もなお現実態としてあるが、そろそろなくなっても不思議ではない。海から押し上がってできたところだから、というのが小学校で習った押上の由来であったが、このそのまんまの命名は間抜けで腹立たしい。隣はいち早くスカして業平町になった。もう少し工夫があってしかるべきだろう、という気がする。由来話は一種の自慢話なのだから、どこかで自慢できる仕掛けをしておいてもらいたい。有名な寺社があったとか、誰か無残な死に方をしたやつがいるとか、何かオプションを付けてもらいたいと思う。海沿いの町の多くは押し上がってできたのだから、そういう意味ではみんな押上であるが、他はそういうバカな命名をしなかったわけである。よほど何もとりえのない土地だったのであろう。